あうとわ~ど・ばうんど

Last Date ( but, my first date) 改訂版

苦痛と快楽は、コインの裏表だ。それが今までジャズを聴いてきて、得られた真理の一つだ。最初は苦痛でしかなかったものが何度も何度も繰り返されるたび、いつのまにか快楽に変わってゆく。あるいは、あるとき突然全身に電流が駆けめぐり、その官能性に目覚める。どうも説明しようとすると、性的なアナロジーになってしまうが仕方がない。とにかくそういうことだ。


というわけで、唐突だが、11日の続きを。


マイルスでジャズに開眼、ハードバップ系を何枚か聴いていた少年が何ゆえ、ドルフィーを手に取ったのか。特に深遠な理由はない。当時、映画を撮り始めた北野武が「3-4X10月」だったか「あの夏、いちばん静かな海。」だったか忘れたが、週刊誌で「エリック・ドルフィーのフルートの曲を使いたかったが、権利関係で駄目だった」みたいな発言をしていて、それなら聴いてみるかと思った次第。CD屋で、一番安かったのが「Last Date」だった。

Last Date

はっきりいって、何じゃこりゃーっ、と(別に松田優作の物まねをする必要はないが)思った。まず、バスクラの音がオドロオドロしくて気持ち悪い。うねうねくねくね吹いてたかと思うと、突然跳躍したり咆哮したりする。アルトも同じ。フルートは音色で聴けるが、なんでこんな滅茶苦茶な演奏をするのか。「You Don’t Know What Love Is」はマイルスの「Walkin’」でのものとは違う曲としか思えなかった。なぜみんなこんなに拍手をしているのか。いったい何を映画に使おうとしたのか。失敗した。すんでいる世界が違う。最悪の印象のまま、CDは棚にしまいこまれた。

当時はCD自体、今よりも高かったし、ジャズだけを聴いていたわけでもなかった。いろいろな本も読みたかったし、友達と遊ぶ金もほしかったので、毎月新しいジャズのCDを買うことはできなかった。少ない枚数を繰り返し繰り返し繰り返し聴いた。それにも飽きてきた。そこで、仕方がない、こんなCDでももう一度聴くか、と棚の奥から「Last Date」を引っ張り出した。

「Epistrophy」のバスクラによるイントロが始まった。なぜか、あ、悪くない。と思った。いがらっぽさのような、澱のような不快さは残っている。しかし嫌悪感はなくなっていた。ピアノが加わり、ドラムのトンッという合図とともに合奏になる。気分としては我慢して聴いているつもりだったのだが、耳をそばだてている自分に気付いた。ミシャのピアノ、ジャック・ショールズのベース・ソロに続いて、再びドルフィーバスクラが鳴り響いた瞬間−。

背中に電流が走り、目の前の世界がいきなりグニャリ!と曲がったような気がした。わきの下から横腹にかけて冷たい汗が流れるのを感じた。スピーカーから出てくる音が、とても心地よかった。

そこからジャズ地獄が始まった。ジャズを聴くのは楽しくも苦しい。苦しくも楽しい。演奏家という、固有の身体感覚と生理感覚を持った他者から発せられる音には、心地よさと同時に受け入れがたさが必ず備わっている。そのせめぎ合いを内面的に体験することでしか得られないSomethingが、ジャズにはある。そうして、聴き終わった後に、自分が更新されていることに気づくのだ。自分はそんなふうに変転してきた。ように思う。たぶんね。



と、15年後に書くことになるのだと、初めてドルフィーを聴いた直後の自分に教えてやることができたら、彼は一体どんな顔をするだろうか?