あうとわ~ど・ばうんど

エリック・ドルフィー没後51年

明けて6月29日は、エリック・ドルフィーの51回目の命日。なお、1964年6月29日も、今年と同じ月曜日であった。


今年は特にネタを仕込んでいないので、書くことがない。ならば今年こそ、あれを書いてしまうか。いやしかし・・・


ブログを始めてから今年(の11月)で10年になるが、実は毎年、6月20日と29日が巡ってくるたび書こうかどうしようか迷って結局書かずにきた、極私的かつ超こっぱずかしい話がある。ほかに書くこともないし、10年とキリのいいところでもあり、えーい、思い切って書いてしまおうか。


というわけで、下に記すのは、私以外にとってはどうでもいい下らない思い出話&妄想の垂れ流しである。読んでも時間を無駄にすること請け合いで(もっとも、私のブログはいつも全部そんなものだが)、エリック・ドルフィーについて思索を深めることにもつながらない。心の広い方のみどうぞ。





学生時代、エリック・ドルフィーをテーマにしたジャズ偽史のような、小説もどきを書いたことがある。結局は核心部分に差しかかったところで行き詰まって、中途で放り出してしまったのだが、完成していればそれは、ドルフィーのみならずジャズについて当時私が考えていたことのほとんどすべてが詰め込まれた、一大巨編になる予定だった。ただし、どこかに発表する、といったことは目的にしておらず、内輪(母校のジャズ研)で楽しんでくれる程度でいい、と思っていた。


このあたりの事情を、もう少し詳しく説明する。ある時、先輩とこんな話をした。せっかく「ジャズ研究会」という名前なのだから、卒業時に研究成果を論文として発表してはどうか、いいねえいいねえ、と。むろんそれはその場の冗談話だったわけで、先輩もその後たぶんそんなことは覚えてもおらず、そのまま卒業してしまったが、私は卒業を半年後に控えた段階で、それを突然思い出した。幸いにも私には後期に取得すべき単位がなく、暇だった。で、実行に移してみたわけだ。テーマはエリック・ドルフィーの音楽についての考察。もとより音楽理論的なものではなく、晶文社の「エリック・ドルフィー」における間章みたいな文章を書き始めた。しかし、うまく書けない。そのうち、ある着想を得て、小説にしてみたらどうだろう、と思い立ち、書き始めてみたのだった。


というわけで、思い切って、ここに、そのストーリーを公開してみようと思う。このブログはプロの小説家の方も読んでくださっているので、こんな未熟な、つまらない、今で言うところの「中二的」なものを・・と逡巡はあるのだけれど、もし当時ブログというメディアがあれば、先々後悔することになろうとも得々と書いていたに違いなかろうし、私が過去にエリック・ドルフィーについて書いた最も長大な文章の、エッセンスだけでもどこかに形として残しておきたい気持ちが、やっぱりある。20年近く前の草稿は既に捨ててしまっているものの、当時の手帳に構想メモが残っていた。


以下、あくまであらすじのみであるが、記憶を頼りに再現しつつ、忘れてしまって足りない部分は、せっかくなので今の頭で考えた創作を交えてみる。大体こんな感じだ。






舞台は1980年代のアメリカ・ロサンゼルス。主人公は、初老の黒人男性。若いころはジャズミュージシャンとして生計を立てることを望んだが、才能と運に恵まれず、不動産屋に転職。幸いそちらでは才能と運に恵まれ、妻には早くに先立たれたものの、大きな資産を手にした。一方で、セミプロのクラリネット奏者として、演奏活動を楽しんでもいた。決してかつて夢見た晴れ舞台ではないが、満足だった。最近よく思いだすのは、少年時代、バディ・コレットのもとで、ともに音楽を学んでいた親友エリックのこと。どちらも20代は不遇だったが、ドルフィー家のガレージで切磋琢磨し合い、おれたちもいつかは、と誓い合っていた。やがて何でもできるエリックは引く手あまたとなり、チコ・ハミルトン・クインテットに抜擢される。対する彼は芽が出ず、また、西海岸から蠢動を始めたフリージャズをエリックはすぐに取り入れたが、彼にはなじめないものだった。やがて、エリックからニューヨークへ行くと告げられた日、彼は夢をあきらめることを決意する。ニューヨークへ出たエリックは、すぐに話題の奏者となり、彼は羨ましいというより、誇らしい気分だった。エリックの演奏には常に賛否両論がつきまとったが、そのころには彼もエリックのやっていることが分かり、エリックが西海岸へツアーに来ると出かけていき、励ましたものだ。エリックと最後に会ったのは64年4月4日、エリックから電話がかかってきてヨーロッパへの移住を聞かされ、急きょ休暇を取って、ニューヨークのタウンホールへ駆けつけた。エリックと同様、チャールズ・ミンガスもロス出身で若いころからの知り合いだったので、顔パスで楽屋へ行き、エリックに尋ねた。「ヨーロッパには、いつまでいるんだい?」「わからない。でも、そんなに長くはないと思う」「わかった。体に気をつけて」。最後にかけた言葉を、後々まで悔やむことになるとは思わなかった。あれから3カ月ほどしかたっていないというのに、エリックは遺骨となって故郷に悲しい帰還を果たし、7月9日に埋葬されたのだった・・・

彼はヨーロッパを長期旅行してみようと思い立った。親友の足跡をたどってみたくなったのだ。幸い、彼が起こした会社は順調そのもので、後進も育っており、部下たちはしばらく自分がいなくても大丈夫だろう。彼は部下たちに、長期休暇を取ってヨーロッパに行ってこようと思うんだが、と告げる。「ボス、ヨーロッパにはいつまで?」「そんなに長くはならないつもりだ」「わかりました。体に気をつけて」。彼はまず、ベルリンへ向かった。ベルリンはさすがに、今やジャズの巨人の一人に数えられるエリック・ドルフィー最期の地だけあって、エリックを信奉するミュージシャンや研究家も多く、むしろ彼らが彼に対し質問攻めにするぐらいだった。ドルフィーはどんな子供だったか、チコ・ハミルトン・クインテットに参加する以前はどんな演奏をしていたか・・・。エリックと共演したミュージシャンに話を聞くことができた。非常に具合が悪そうだったよ、でも、亡くなってしまうとは思わなかったなあ。また、ある研究家の情報で、エリックの死を看取った看護師にも会うことができた。彼女は、その患者のことはよく覚えているという。初めて聴く親友の死の直前の逸話に目頭が熱くなった。しかし、どこか違和感があった、それが何かはよく分からないのだが。次に彼はオランダに向かった。名演「ラスト・デイト」が吹き込まれた地だ。幸運にも、エリックの相手を務めた3人、ミシャ・メンゲルベルク、ジャック・ショールズ、ハン・ベニンクに話を聞くことができた。皆、エリックの急死には激しくショックを受けたそうだ。そんな様子は微塵も感じられなかっただけに。気になったのはミシャの証言だ。エリックは頑なに、自分の演奏をテープに録音することを許さなかったそうだ。まるで「音楽は聴き終えると、宙に消えてしまい、二度と取り戻すことはできない」という、後にとても有名になった言葉を、常に自らに課していたかのようだった、と。自分の知っているエリックからは聞いたことのないその信念を、エリックはいったいいつから持っていたのだろう。だからなおさら、エリックすら当日までレコーディングされることを知らなかったという、このセッションが記録されたことは貴重だ、と思う。もっとも、今ではそれ以後の「ラスト・レコーディング」やその他のプライベートテープの存在が発見されている。他にも最近、ヘイル・スミスが、ヨーロッパに旅立つ直前のエリックに託され決して発表するなと言われていたテープを、ジェームズ・ニュートンにほだされて発表に踏み切った。だけど、あの演奏は自分にも衝撃だったな。それにしても、その場その場の即興性に全てを賭けるジャズマンにとって、宙に消えたはずの音が録音され、記録され、死後も残り続け、生前に聴かれていたより多くの人々に聴かれるというのは幸運なことなのか、それとも不運なことなのか。そういえば、エリックがヘイルにテープを託した経緯も不思議だ。フランツ・カフカがマックス・ブロートに小説の草稿を託したみたいに、まるで自分の死を予感していたかのようではないか。それに、カフカもそうだが、なぜ本当に、絶対に約束を守る人間を選ばなかったのか・・・

そして最後に彼は、パリへと向かう。エリックが婚約者と最後の幸せな時を過ごし、ヨーロッパでの演奏活動の本拠としたクラブ「シャキ・ペ・シュ」があった街だ。ここでも、彼は生前のエリックを知る多くの人々に会う。彼らは口をそろえて言う。とても死を目前に控えている人間とは思えなかったなあ。そして、ある人物が、話を切り上げようとしたところ、そういえば、と言ってこんなことを語りだした。あれはあの年の7月だったと思うんだけど、彼によく似た男を見かけたんだ。人ごみの中でその姿が目に入って、声をかけようと近づいたんだが、雑踏の中に消えてしまったんだよ、まるで音楽が宙に消えるみたいにさ。でも実は、ぼくはその時点では彼の死を知らなかったんだ。あとで知って驚いたんだが、ぼくが見たのは幻だったのか、それとも他人の空似だったのか・・・。ベルリンで看護師に会った時に彼の脳裏に兆した違和感の正体が分かってきた。その疑念はどんどん膨らんでくる。もしかすると、エリックは、本当は死んではいないのではないか? そんな時、ベルリンの研究家から連絡が来た。凄いものを発見した、と興奮した口調で。ベルリンに飛んだ彼は、研究家から、エリックの死亡診断書のコピーを見せられる。疑念は確信に変わった。アッヘンバッハ病院で死んだ黒人男性のひたいには、こぶを切除したはずの手術痕がなかったのだ!しかし、予定していた滞在期間は終わろうとしている。いくら部下たちが優秀でも、いつまでも帰らないわけには行かない。時間はあまりない。彼は再びパリに取って返し、エリックに似た男の目撃証言のあった場所を中心に、聞き込みを開始する。現地の私立探偵も雇った。時間だけが刻一刻と過ぎていく。自分は一体なにをしているのだろう、本当にその男がエリックだという証拠なんかないじゃないか、死亡診断書だって単に手術痕を見落としただけという可能性の方が高いではないか・・・

それは突然だった。人ごみの中にその顔はあった。白髪と白髭で、かなり皺くちゃになっているが、彼に間違いない。向こうも彼を見た。が、彼を認識しているそぶりは見せず、立ち去ろうとする。彼は思わず駆け出した。おい、エリック、待ってくれ。危うく通行人にぶつかりそうになったので避け、目が逸れてしまった。もう一度エリックらしき男のいた方向に目を向けたが、すでに消えていた。まるで音楽が宙に消えるように。それから二度とそんなことはなく、ついに、翌日にはヨーロッパ滞在を切り上げなければならないという日が来た。と、探偵から連絡が入った。住処を見つけました。慌てて向かった。廃墟のように古びたアパートの前に探偵が立っていた。街自体が陰鬱で、人の気配もない。部屋にいることは確認しました。ありがとう。彼は部屋のベルを押す。しばらくたって、ドアの向こうで気配がした。のぞき窓からこちらを見ているのだろうか。さらにしばらくたって、ようやくドアの向こうで声がした。「きみか」。彼は「エリック」と呼びかけた。「その名前はやめろ。その名は捨てた。もしきみがその名で呼び続けるなら、ぼくは答えない」「わかった。でも、このドアを開けてくれないか」「それはだめだ。ここで話すんだ」。何度かの押し問答があった。彼があきらめたのを察したのか、エリックがドア越しに話し始めた。錆びた鉄製ドアを挟んで響いてくるエリックの声は、まるで異界から届いているかのようだ。「きみを見かけた時はとてもびっくりした」「気づいていないと思っていたよ」「知っている顔と目が合ってしまうことが時々あってね。そんなそぶりが身についた」「ならば、なぜ知っている人がいない土地へ行かない?」「そういうところでは、われわれ黒人は逆に非常に目立ってしまうからね。都会にいた方が安心なのさ」「なるほど」「最初はうまくまいたと思ってた。おそらくきみは旅行で来たんだろうから、幻を見た、ですむんじゃないかと思ったんだ」「そうじゃない。ぼくはきみを捜していたんだ」「そうみたいだね。すぐにぼくは、自分のことを捜している人物の存在に気づいた。きみが捜しているんだ、とぴんと来たよ。住所を探り当てられないうちによそに引っ越そうかと思ったんだが、やめた」「どうして」「もう年だからね、新たな土地で生活を始めるのは非常に疲れるんだ。それに、きみになら、話してもいいかもしれないと思ったから」「何を?」「ぼくがなぜ、生きているか」「それはありがたい。きみの両親は今も健在だ、喜ぶよ」「だめだ。絶対誰にも知らせてはならない。でなければ、ぼくは話さない」「そんなこと約束できないよ」「ではこれで話は終わりだ。帰ってくれ」「帰ってもいい。どうせ明日には帰らなければならない。でも、帰ったらぼくは皆にきみのことを話すぜ。それでもいいのかい」「それはかまわない。だが、何の意味もない」「なぜ?」「きみがおかしくなったと思われるだけだからさ。それに、あとでここに戻ってきても、ぼくはいない。いた証拠もない。なぜなら、ここはぼくの家じゃない。君と会うために一週間だけ借りただけにすぎないからね」「ならば、引き続き探偵に見張ってもらって、きみの本当の家を探りあてることもできる」「無理だね。きみが現れる前、彼には、きみが払った以上の金を渡して、きみが来たらいなくなるようにしてある。既にいないはずだ」「(振り返って確認して)・・・帰国をやめて、君の本当の家を見つけるまで、ずっと見張っていることもできる」「そうなれば、不審者として通報するまでさ。旅券を確認されれば、きみはこの国から出ていかなければならない」「・・・」「わかったかい。ぼくのことを誰にも話さないと約束しなければ、ぼくは本当のことを話す気はない」「・・・わかったよ」「ありがとう。ほんとうは、こんな脅しみたいなことはしたくなかったんだ。でも、これで大丈夫だ。きみはぼくとの約束を決して破らない男だ。だから昔、ヘイル・スミスにテープを渡したんだよ。発表したくないなら、きみに渡すか、廃棄すればよかったんだから」「なんだって!?それは『Other Aspects』のことかい。ちょっと待て。ということは、発表してほしかったことになる。おかしいじゃないか。あんなに録音されることを嫌っていたきみが」「あの音楽だけは、ぼくが演奏したどんな音楽より愛着があったんでね。評判を聞いてみたい欲求を打ち消すことができなかった。しかし、それはぼくが死んだあとでなければならなかった。ぼくが死んでいれば、ヘイルだって、いつまでも約束を守りはしないさ」「意味が分からないよ。なぜなんだ」「それをこれから話すのさ。いいか、最後まで黙って聞いてくれ。質問はするなよ」。そういって始めたエリックの話は驚嘆すべきものだった。彼が知っているエリックは、そこにいなかった。彼がエリックだと思っていた男が、いきなり人間の皮を脱ぎ去って、グロテスクな異星人としての姿を現したかのようだった・・・・・






あらすじと言いながら、途中からついつい調子に乗って、長々と書き連ねてしまった。当時書いたものより、今付け加えたものの方が圧倒的に多く、特に最後の二人の会話は、骨格は当時の構想通りであるものの、ほぼ全編書き下ろしである。ちょうどこのあたりまでが、私が執筆を放棄した地点だった。ちなみに、読んでいる途中で察しがついた人が多いだろうが、この物語は当時読みふけっていたポール・オースター(とりわけ「鍵のかかった部屋」)の影響が色濃い。というか、ほとんどパクリである。もっとも、オースターを読んでいたから小説にしてみよう、という着想を得たのだったが。それ以外にも、草稿にはいろんな小説作品のパスティーシュやジャズの逸話が散りばめてあって、一例をあげると、上では主人公を「彼」と書いているが、実際の草稿では「K」になっており、言及のあるカフカや、夏目漱石の「こころ」まで念頭にあった。先人の遺産を模倣し、取り込み、解体し、組み合わせることで、ジャズを表現する、というのが物語のコンセプトの一つだったのだ(やはり中二病である)。


そして、物語はここからトーンを変え、ドルフィーによる長い独白が始まることになっていた。ドルフィーが、あの異形の音楽で表現しようとしていたものの正体は何だったのか(その一部は、過去のブログにさまざまな形で書いてある)、そして、なぜ、自分を死んだことにして、皆の前から姿を消したのか。その話しぶりは、読み手が気づいても気づかなくてもかまわないが、ドルフィー自身の音楽のように、あちこちに飛躍し、時に急速調の長広舌になり、変てこなリズムを帯びたものになる予定だった。しかし、この核心部分は、そういうコンセプトがあったのみで、プロットとしては不完全なままだったので、書く手がピタリと止まってしまった。そうした描写を可能にする小説技術を私はもとより持っておらず、放棄するしかなかったわけだ。その後、20代のころ数度、続きを書こうと試みたことがある。が、途中で終えた物語は宙に消えてしまい、二度と取り戻すことはできなかったのだ。


ふう、ついに、封印してきた黒歴史(というほどのことでもない)を告白してしまった。めちゃくちゃ恥ずかしい。でも、ちょっとすっきりした。いずれにせよ今日のエントリは、エリック・ドルフィーの音楽に人生を狂わされてしまった人間から彼に対しての、いささか回りくどいラブレターなのである。






ご清覧ありがとうございました。参考に、エリック・ドルフィー最期の日々の音源をいくつか挙げておきます。(順不同)


アルバムは、オールインワンのこれをとても重宝している。

Complete Last Recordings in Hilversum & Paris 1964

Complete Last Recordings in Hilversum & Paris 1964


そして最後に、あの有名な言葉を、前後の文脈付きで紹介しておく。ドルフィーは実は、音楽を「消えてしまうものだ」と言っているのではなく、「消えてしまうからこそ純粋な創造行為なのだ」と述べている。しかも、主語は「you」であることに注目しよう(出典となったインタビューの聞き手はミュージシャンではない)。これを読む者は、ドルフィーが語った音楽についての言葉を、自分自身のこととして考えるよう、今なお突き付けられているのだ。

Listen, the thing is, I enjoy playing all kind of ways I feel that, you have a great chance of expressing yourself and broadening by playing, I feel now, that does not have to be right what I am saying what I feel about broadening. The more musicians you play with, certain things will help you, I feel. That develops you, because music, regardless of what it is, what label we put on, it's basically music, and basically it's creative, because when you think about it, when you hear music after it's over, it's gone in the air, you can never capture it again, so it's pure creation.