あうとわ~ど・ばうんど

デヴィッド・S・ウェアの「音」

OCTOBER 18, 2012 - DAVID S. WARE has passed
http://www.aumfidelity.com/news.htm


帰宅してパソコンを開いてほどなく、巨星デヴィッド・S・ウェアの訃報が目に飛び込んできた。思わず手に取ったのが、一昨年ベストに挙げたこのアルバムだった。

SATURNIAN (SOLO SAXOPHONES, VOLUME 1)

SATURNIAN (SOLO SAXOPHONES, VOLUME 1)

David S. Ware(saxello, strich, ts)


ウェアの魅力は何と言っても、その「音」だった。何気なく聴き始めたとしても、こちらの心を否応なく瞬時に“煮えたぎらせる”ような野太い音。

しかし2年前、腎移植からの復帰ライブを収めたこのアルバムで聴いた彼の音は、違っていた。

まるで生命を削るかのように、切迫感に満ち、無防備な、はだかの心をそのままさらけ出したような、それまでの強烈なアッパー系が絶対値をそのままにダウナー系に転化したように怜悧な、まるで生きている人間の出す音とは思えないような、いやしかし真に生きている人間にしか出せないような、そしてウェアという人間そのものが音になっているかのような、技術や魂といったものを超越して何か不思議な力に動かされているような、ほんのちょっとしたバランスでも崩壊してしまいかねない危うい場所で必死にふみとどまっているような、聴いているこちらの心までを丸裸にして襞までを開示させその音に対峙する覚悟を強いられるような、徹底して、ぎりぎりの音だったのだ。

ウェアのこんな音を聴いて思いだしたのは、昔、ジャズ批評で阿部薫について「こんなきれいな音をだす人間は長生きなんてできないだろう」みたいに書かれた文章(まだ阿部薫を聴いたことのない頃で、後に実際に聴いて、筆者の言いたいことを納得したのだが)で、ウェアの今後を案じざるをえなかった。

しかしその後ウェアは新たなカルテットを結成し、再び高みを目指しはじめた、と安心していた。さらなる高みをみせてほしいと願っていたが、ウェアはあの音を発してほぼ丸3年で召されてしまい、希望は無念にも砕かれた。しかし、彼の奇跡の音は残り続ける。われわれの心にこれからも深く深く刻まれ続けるだろう。