あうとわ~ど・ばうんど

Larry Ochs - Gerald Cleaver / Songs of the Wild Cave


Larry Ochs - Gerald Cleaver / Songs of the Wild Cave
Rogue Art, 2018)
Gerald Cleaver (ds, perc), Larry Ochs (ts, sopranino saxophone)


先日のハルヴァーソン・モリスのCDのついでにレーベルに注文したのだが、いやあこれまた良いのである。毎度繰り返し書いている手垢のついた(つまりは気に入っている)表現で恐縮だが、ひしゃげている管に大量の息をむりやり吹き込んでいるとしか思えないような、分厚く野太く深みあるオクスのサックスはやはり最高なのだ。ジェラルド・クリーヴァーのドラムは、曲によっては小物パーカッションに終始するものの、ひたすら煮え立つようにこれでもかと止め処なく打音を重ね昂奮を煽り立てる。アルバム中盤には鈴も鳴らされているが、サックスとドラムのデュオで鈴が登場するのはだいたい傑作と決まっている。

録音は2016年秋。2人はフランスのル・ポルテル洞窟(ラスコーと同様、洞窟壁画で有名らしい)を訪れ、その静寂と闇に心打たれ、翌日に別の洞窟で本作がレコーディングされたという(くだんの洞窟はさすがに許可が下りなかったようだ)。なるほど、沈黙の中を音が染み入るように拡散していくような(とくにオクスのサックスは墨痕淋漓と形容したくなる)録音もすばらしい。

Mary Halvorson - Joe Morris / Traversing Orbits

なぜだかデュオアルバムが続いている。

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Mary Halvorson - Joe Morris / Traversing Orbits
Rogue Art, 2018)
Mary Halvorson (elg), Joe Morris (elg)


ビル・フリゼールとの「The Maid With The Flaxen Hair」(8月25日参照)に続いて、メアリー・ハルヴァーソンの今年2枚目のギターデュオアルバムは、師匠ジョー・モリスとの共演。(なお、本作の録音は今年4月9日、ビルフリとの作品が同15日と、1週間も隔たっていない時期に集中している、という事実は興味深い)。本アルバムはメアリーがジョーに寄せているのか、あるいは逆か、はたまた互いになのか、瞬聴は両者のプレイが意外や似通って聴こえるが、さすが確固たる個性を持つ2人のこと、すぐに右がジョー、左がメアリーと知れる(もし違っていたら大笑い)。高尚高踏なジャズであったビルフリとの作品も趣深かったが、インプロ主体の本作は(むろん「好み」の問題であることは認めたうえで)亢奮度、抽象度、刺激度、自由度、心支度、親和度、妖美度……全てにおいて「上」だろう。滋味掬すべき音楽。

原田依幸 川下直広 / 東京挽歌

東京挽歌

東京挽歌

原田依幸 (p), 川下直広 (ts)


真面目なのか遊びなのか「東京万化」および「東京挽歌」と名付けられた2曲で、計35分弱という収録時間は、これで十分だという自信と潔さが感じられ、たしかにそれを首肯できる内容だ。川下さんはここではテナーサックスのみで、極端に単純化して言えば大半の時間は叫びと唸りと呻きと『うた』とで占められ、むろんそれがこちらの感情をゆっさゆっさと大きく動かすのだ。それに対して原田さんはピアノから、一音一音が硬質な結晶であるような音を繰り出し、その圧倒的な重さと速さと透明感にはいつもながら惚れ惚れする。収録曲名に引きずられて思わず『透明高速』と書きそうになってしまったが、それはともかくとして、こうした演奏ができるのは、セシル・テイラー亡き今、世界広しと言えど原田さんぐらいだろう。タイトルに嘘偽りなく、これが日本のブルースだ、といえようか。

Mette Rasmussen | Chris Corsano - A View if The Moon (from the Sun)

間が空いてしまった。clean feed の新譜、2枚目にようやく取り掛かる。

A View of the Moon (From the Sun)

A View of the Moon (From the Sun)

Mette Rasmussen (as), Chris Corsano (ds)


メテ・ラスムセンとクリス・コルサノのデュオアルバムとしては、Relative Pitch からの「All the Ghosts at Once」(15年5月26日参照)以来3年ぶり2枚目(なお録音データ上は、前作が13年10月のニューヨーク、本作は15年7月のスロヴェニアリュブリャナ、と少し古い。つまり昨年の日本ツアーは、本作の発展形ないし現在形ということになる)。予想通りまたたく間に著名になってしまったラスムセンは多彩な技術を持ち、むろん本作でもそれらは披露されるが、聴き終えた後に印象に残るのは彼女のアルトサックスの強い「音」の力である。塩辛いと感じるほどに引き締まり、音の芯だけを太くしたような質感を持つすばらしい音。中身がギュッと詰まっているがゆえに、吹き延ばし時にはまるで音を圧延しているかのように聴こえるほどだ。コルサノのドラミングは相変わらず、連打であっても一音一音のニュアンスが異なり、細部に至るまですごく気配りが利いている。極楽デュオ。


試聴

Chris Pitsiokos | Susana Santos Silva | Torbjörn Zetterberg - Child of Illusion

clean feed レーベルの新譜が届いた。まず最初に聴いたのはこれだ。

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Chris Pitsiokos | Susana Santos Silva | Torbjörn Zetterberg - Child of Illusion
clean feed, 2018)
Chris Pitsiokos (as), Susana Santos Silva (tp), Torbjörn Zetterberg (b)


われらがクリス・ピッツィオコスの新作は、ポルトガル出身のスサナ・サントス・シルヴァ、スウェーデンのトルビョルン・ゼッターバーグ(2人はCFにデュオ作品がある)とのトリオ。意外や?隙間の多いインプロだが、3者の音は空間にくっきり浮き立ち、音の連なり重なり絡まりを思うさま堪能できる。そして特に、こういうセッティングだからこそ、クリスの音の魅力への認識を新たにする。メタリックのようなビロードのような、温かさと鋭さと柔らかさと冷たさと円やかさと硬さが全て詰まった、輝かしい音色。昨年の日本ツアーでクリスに話を訊いたときはオーネット・コールマンのプライムタイムを研究しているとのことであったが、空気を擦り裂くように吹き伸ばされる彼の音(とトランペット、ベースとの絡み)には濃厚なジャズの匂いが漂い、むしろ『ジャズ来るべきもの』の「ロンリー・ウーマン」や「ピース」などにおけるオーネットを思い出させ、時にエリック・ドルフィーをも引き寄せ、得も言われぬ官能性を放つ。もちろんスピード感あふれるシーンもあるので、ご安心を。

Nonoko Yoshida and Ryoko Ono DUO


Nonoko Yoshida and Ryoko Ono DUO
(NEWDUO series 010 / 2018)
吉田野乃子 (as), 小野涼子 (as)


小埜涼子さんのニューデュオシリーズ第10弾。今年6月26日に名古屋で行われたデュオライブの録音と思われる(5曲16分ほど)。いわば「道産子姉妹」による各トラックは、駆けくら、真似っこ、掛け合い、つなひき、応酬、シンクロ・・と息がぴったりで(どちらかといえば「妹」がせり掛け「姉」が受け止めている印象であるが)おそらくは音源からそうした『部分』を切り出したのだろう。これはぜひとも生で、ライブ全体を、できれば北海道で観てみたい。その際は小埜さんには、野乃子ちゃんの「空ヲ知ル」の向こうを張って、自身の出身地にあやかって「石ヲ狩ル」という曲を作ってほしいものだ笑。

Jonathan Finlayson / 3 Times Round

pi recordings の新作が届いている。

3 Times Round (feat. Steve Lehman, Bryan Settles, Matt Mitchell, John Hebert & Craig Weinrib)

3 Times Round (feat. Steve Lehman, Bryan Settles, Matt Mitchell, John Hebert & Craig Weinrib)

Jonathan Finlayson (tp), Steve Lehman (as), Brian Settles (ts, fl), Matthew Mitchell (p), John Hébert (b), Craig Weinrib (ds)


近年、スティーヴ・コールマンの数々のプロジェクトで、彼の傍らに必ずいるジョナサン・フィンレイソンの新作。注目は何と言ってもスティーヴ・リーマンの参加だ。フィンレイソンがコールマンの元で学んだであろう、複雑な数列や幾何模様を用いたような作曲やトランペットプレイにおける緻密性に対し、リーマンは執拗ともいえる屈折した偏執性を見せつける。加えて、セトルズの端整なる凡庸性(けなしてるわけでない。むしろ彼のプレイはなぜか私の琴線に引っかかる。12年10月21日参照)、ミッチェルの万華鏡のごとき煌びやかな変幻性(ないしは変態性)との配合加減が絶妙。