あうとわ~ど・ばうんど

ジャズマン植木等

先日録画しておいた、植木等の追悼番組「スーダラ伝説・夢を食べつづけた男」を見た。植木が半生(というより、一生、に近い)を語り、2年前に放送された物の再放送である(2年前には見ていない)。やはり『無責任男』が誕生するまでの軌跡が面白かったのだけれど、中でもジャズマン時代の話が一番興味をひかれた。
横浜モカンボで歴史的セッションが行われた当時、そのモカンボのハウスバンドが植木等トリオだったという話は有名である(・・・かどうかは分からない)が、よく店に来て演奏していった米兵のピアノが途轍もなく上手で、植木の隣で秋吉敏子が『あの人絶対プロに違いない』と言い、その米兵と植木はセッションしたこともあり、後で聞いたら米兵はハンプトン・ホーズだと知って驚いた話など、想像できたこととはいえ植木自身の口から語られると重みがある。また、当時の仲間として、沢田駿吾や五十嵐明要や稲葉国光らが出演し、植木と談笑していた。
戦後すぐ歌手を志し、しかし折からの外来音楽つまりバンドブームにより無名の新人に仕事はなく、楽器ができれば仕事が増えるのではないかと友人からギターを買い、練習に明け暮れ、やがてモダンジャズに目覚めることとなった植木。自分の夢とは違う方向に人生が進み、その後の道のりもさらに思わぬ方向へと進むことにもなってしまうのだが、1950年代は『ジャズ』が外来音楽全般を意味した時代で、後に純ジャズと大衆音楽に分かてゆく前の混淆状態だった。植木たちのような、日本ジャズ正史(そんなものがあるとすれば、だが)からはおそらく漏れてしまったような人々や出来事を網羅した歴史本を、いつか誰か出してくれないだろうか。