あうとわ~ど・ばうんど

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Garrett 5

懐かしさついでに、これも聴く。

ギャレット・ファイブ

ギャレット・ファイブ

Kenny Garrett(as) Wallace Roney(tp) Mulgrew Miller(p) Charnett Moffett(b) Tony Reedus(ds) Rudy Bird(per)


私がジャズ研でまだ熱心にアルトサックスをやっていたころ、同時代のストレートなジャズにおけるアイドルがケニー・ギャレットだった、ということは過去にブログで何度か書いている(最近はあまり言及してないが)ので、今さら隠すつもりはないけれど、実際、当時のアルト小僧たちにとって、同時代の憧れのアルトサックス奏者と言えばギャレットかスティーヴ・コールマンの2択だったのだが、もしかしてそれはわれわれの界隈だけの話だろうか(ついでに思いだしたが、初心者のくせに「ワン、ツー、スリー、フォー、ぷぎゃああ」とかやっていた私に業を煮やした先輩が「これが今の主流だ」と言って聴かせてくれたのがクリストファー・ホリデーだったのだけれど、彼は一体どこに行ったんでしょうか?)。ギャレットの90年代のアトランティック~ワーナー期のアルバムはよく聴いたけれど、実際に演奏の参考にしたのはそれらに先立つこの作品で、この中の「バット・ビューティフル」と「リトル・メロネー」は当時、アレンジもアルトのアドリブもほぼそのまま(と当人は思っているが、周囲にどう聴こえていたかは別問題)レパートリーにしていたのだから、恥ずかしー。この2曲に限らずとも、例えば、アドリブ開始と同時にゆるやかに音を配置したうえで、8分~16分音符の通常ソロに突入、やがてクロマチックやオルタードスケールを駆使しスケールアウトしていき、ついにブローイングに至る、といったような雰囲気(方法論ではない。苦笑)は、当時の私に多大な影響を与えていて、理論的になんとなく正しいフレーズとでたらめのちゃんぽん(ここにはバリエーションがあって、エリック・ドルフィーも当然源流の一つ)からフリーブローへ至るという私のほぼ唯一のスタイルの礎になったのだった、恥ずかしー。だからこのアルバムを聴くと、懐かしくも恥ずかしく、恥ずかしくも懐かしい思い出がよみがえる。もっとも、そんなことをほんとうに恥ずかしがってるようでは、あんな稚拙な演奏を人前で演奏するなんてできっこないし、こんな拙いブログを書き続けることだってできやしませんけれどね笑