Rema Hasumi - UTAZATA
最近 Twitter のタイムラインで話題になっていた蓮見令麻「Utazata」を聴く。
Rema Hasumi - UTAZATA
(Ruweh Records, 2015)
Rema Hasumi(p, vo) Todd Neufeld(g) Thomas Morgan(b) Billy Mintz(ds) Ben Gerstein(tb) Sergio Krakowski(pandeiro, adufo, karimba)
蓮見令麻さんは福岡県出身、ニューヨーク在住のピアニスト、ボーカリスト、即興演奏家とのこと。9月に東京と大阪で来日公演を行っている(できれば観てみたかった・・・)。
アルバムは全7曲。雅楽(東遊)、御詠歌、筑前今様、竹田の子守唄といった日本の伝統的音楽をテーマとした4曲と、フリーインプロヴィゼーションが3曲という構成。日本的音楽を主題としつつも、アルバムは一聴して、菊地雅章のピアノトリオ諸作や、タイショーン・ソーリーのリーダー作群を想起させるような、間と静謐さを生かした現代ジャズ作品という印象を受ける。
「日本の伝統的音楽を、フリー・インプロビゼーションを基盤に演奏している」「ヨーロッパ主義的な平均律の12音階のシステムという視点ではなく、その外側にある音楽的視点から、日本の音楽をとらえ、ラディカルな再構築をする」と蓮見さん自身が解説しているが、これを単純に、ジャズに日本的音楽を取り入れたとか、日本的音楽に新たな命を吹き込んだ、と解釈するのは早計にすぎるだろう(むろんこのブログを読むような奇特な人はそんな曲解をしないだろうが)。
この音楽は、かつてハードバップに傾倒したニューヨーク在住の日本人音楽家が、伝統的音楽と言っても彼女自身の音楽的基記憶とは本来無縁のはずの(間違っていたら済みません)音楽を主題とし、現地の多文化的出自を持つミュージシャンたちとともに、西洋音楽に源流を持つフリーインプロヴィゼーションを共通言語として、ニューヨークで演奏される、という、何重にもねじれた構造を持っている。
それでも、そこに、「日本的な何か」を感じられるとしたら、この音楽はいったい何であろうか。その問いを考えるヒントになりそうな言葉が、順序は逆になるが、蓮見さんが最近 Twitter に投稿している。いくつか引用してみる。
ブルックリンの自宅にてミュージシャンの友人達を集めてリスニングパーティーを開いた。第一回目のテーマは70〜80年代の日本のジャズ。私個人的に今回すごく響いたのは高柳昌行のロンリーウーマンでのソロ、そしてプーさんのポエジーでした。
— 蓮見令麻 - rema hasumi (@remahasumi) November 2, 2015
10枚ほど、この年代の日本ジャズを聞いて思ったのは、やはりそこに「日本的な何か」があるということ。そしてその独特さが功を奏していること。これはきっと、彼らが「アメリカのジャズ」を一定期間追随した結果、自然な流れとして、音楽の民族的または個人的独自性を追求した結果の成功だと思う。
— 蓮見令麻 - rema hasumi (@remahasumi) November 2, 2015
ということを、菊地、高柳、富樫など日本の偉大な音楽家達に教えられた気がする。
— 蓮見令麻 - rema hasumi (@remahasumi) November 2, 2015
私が「UTAZATA」から受け取ったものも、これに近い気がするのだ(もっとも、そもそもジャズという音楽自体が、幾重にもねじれた構造を持っており、そのねじれの結節において不思議な美しさを放つ音楽であることは強調しておきたい)。蓮見さんのこの音楽も「音楽の民族的または個人的独自性を追求した結果の成功」を生んでおり、かつての日本のジャズの達成の延長上にある、と私には感じられる。
試聴
EPK
参照
蓮見令麻さんのブログ「Devotion」(外部サイト)-非常に刺激的で深く考えさせられる文章が多い