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Anthony Braxton - 3 Compositions (EEMHM) 2011

3 Compositions  2011

3 Compositions 2011

Anthony Braxton(composer, sopranino, ss, as, iPod) Taylor Ho Bynum(cor, flh, trumpbone, iPod) Mary Halvorson(g, iPod) Jessica Pavone(vln, viola, iPod) Jay Rozen(tuba, iPod) Aaron Siegel(per, vib, iPod) Carl Testa(b, bcl, iPod)


これは凄い。何が凄いかって、(初めて聴いた時に Twitter でも書いたが)アンソニー・ブラクストンが一体何をしたいんだか、皆目わからないのが凄い。この「Echo Echo Mirror House」というグループには、本アルバムが録音される2カ月前のライブ盤「Echo Echo Mirror House」(13年5月18日参照)が出ていて、あちらを聴いた印象としては、iPod によって挿入される音は7人による演奏の味付け程度の認識だったのだけれど、それは根本的に間違っていたようである。この3枚組のCDによって聴かれる音楽は、そんなものではない。


アルバムに封入されたライナーノーツには、ブラスクストン本人の筆による「Echo Echo Mirror House Music」というコンセプトについての長大な解説および聴き方が載っている。英語が苦手なのと書いてあることが難解なのとで、全然意味が分からず、途中で読むのを断念してしまったのだが、それでも何とか勝手に解釈したところでは、この音楽は、コンポジションインプロヴィゼーションの間の領域を立体的に拡張する、というもののようだ(たぶん間違っていると思うので、英語が得意な人は正答を教えてくれると嬉しい)。


この音楽は、7人が図形楽譜を演奏し、あるいは即興し、そしておそらく何かのシステムに則って iPod に収録されたブラクストン50年のキャリアで蓄積された音源(選ばれるのは、オーソドックススタイルな演奏が多い印象である)が挿入される。ここではコンポジションも作曲も過去音源も、何かが主でどれかが従ということもなく、全てが等価なものとして同居し、音楽全体として現前する。であるから、誰かがどうこうという楽しみ方にはあまり意味がなくて、時おりメアリーのギターの音色が単独で聴こえて耳を奪われたとしても、それは奇っ怪なコラージュの一部以上の意味はない。


そういえば、3枚ともに1時間程度の「作品」であるのだが、いずれも最後は突然終わる。例えば1枚目の終盤、iPod 音源が消え、7人による人力演奏が続いていると思っていたところ、それらも突然ぷつっと消える。その瞬間。自分が聴いていたものが、もしかすると全部 iPod から流されていた音だったのかもしれない、という気分になったのだった。うーん、とにかく凄い。そして、とにかく訳が分からない。しかし、とにかく面白いのだった。



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