あうとわ~ど・ばうんど

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Gary Peacock - Voices

実は、最近聴いたアルバムの印象を全て吹っ飛ばすような弩級の秘蔵音源を聴いて非常に興奮しまくりだったのだけれど、これは絶対に書けないので、それはそれとして、ソニー・ジャズ・コレクション1000第5弾の50タイトルが今週発売された。食指をそそられたのは、ゲイリー・ピーコックの初リーダ作と2枚目作品の2枚。まずは菊地雅章富樫雅彦が参加した2枚目のほうを聴く(「イーストワード(期間生産限定盤)」は積んだまま、まだ聴いてない)。

ヴォイセズ(期間生産限定盤)

ヴォイセズ(期間生産限定盤)

Gary Peacock(b) 菊地雅章(p, elp) 富樫雅彦(ds) 村上寛(ds)


12日に書いた「ポエジー」の2~3カ月前、1971年4月録音。すなわちこのアルバムもまた、富樫雅彦が独自ドラム考案による“完全復活”を遂げる前の試行錯誤の時期にあたることになる。

「ポエジー」のライナーノートによると、ゲイリー・ピーコックが日本に住んでいることを知った音楽関係者が、菊地と富樫を迎えてトリオのアルバム制作を企画したのが69年暮れ。しかし、70年1月に事故(事件)が起こり(相倉久人至高の日本ジャズ全史 (集英社新書)」)、富樫は参加できなくなってしまう。それで急遽、村上寛を迎えて2月に制作されたのが、初リーダー作「イーストワード」とのこと。そして、演奏活動を再開した富樫をあらためて迎えて翌年制作されたのが本作なのだそうだ。

とはいえ、富樫のプレイにまだ不安があったためか、前作がとても良かったからなのか、村上寛も再び参加して変則的なカルテットとなっている。全6曲中4曲がそのカルテットによる演奏で、ドラムを1人にしたトリオがそれぞれ1曲ずつ収録されている。だが正直に言って、4人による演奏は、いったいドラムを2人並べる意味があるのか、という感想を抱かせる。富樫と村上の演奏は対照的で間違えようがないが、村上が前面に出すぎているきらいがある。それぞれのトリオを聴く限り、むしろトリオを2曲ずつにしてバランスを取った方が良かったのではあるまいか。

と言いつつ、そんなものは重箱の隅をつついているだけで、アルバム自体に不満はない。それはピーコックがリーダーらしく中心にどっかと腰を落ち着けて、深く美しいプレイで魅了してくれるからで、これまではもちろんピーコックがベースの巨匠であることは知っていたけれど、あまり彼自身にフォーカスして聴いてこなかったことを懺悔したい気分にさせられた。(話は逸れるが、ピーコックがビル・エヴァンス・トリオを経てアルバート・アイラーの「スピリチュアル・ユニティー」など ESP 時代の諸作に参加しているのと同様に、若手時代を同じロサンゼルスで過ごし、同じエヴァンス・トリオの先輩でありながら実は1歳年下(!)のスコット・ラファロオーネット・コールマンの「フリー・ジャズ」などアトランティック時代の諸作に参加している事実は、60年代のジャズを考える上で非常に興味深いと思うのだが、誰か論考してくれないだろうか)

また富樫雅彦の話に戻すけれど、ピーコックが日本に住んでいた間が、ちょうど彼の完全復活に向けての助走期間と重なっているのが興味深い。ゲイリーが日本で残したアルバム7枚のうち3枚に富樫が絡んでいる(ちなみに菊地は5枚)。本場のフリージャズを通過したピーコックのプレイは彼にも刺激を与え、フリージャズ一本に邁進していく布石の一つになったのではないかと想像する。この時代の交遊が縁となってか、後年、菊地とはテザード・ムーンを、富樫とはウェイヴを結成するというエピソードもなかなか感動的だ。