あうとわ~ど・ばうんど

低音野郎 with 竹村一哲

8日:札幌ジェリコ
高岡大祐(tuba) 瀬尾高志(b) 竹村一哲(ds)

めちゃくちゃよかっためちゃくちゃよかっためちゃくちゃよかった。思わず3回繰り返してしまったが、もう一度。めちゃくちゃよかった(笑)。
第1部はトリオ一本勝負。第2部は高岡さんと一哲のデュオ、そしてトリオ。すべて即興という構成。
高岡さんは時に和笛のような時にホーミーのような時にパーカッションのような七色の音色を、決して技術のひけらかしでなく、その場の必然性において駆使して音楽を紡いでゆく。デュオでサーキットしている瀬尾とのコンビネーションはもちろんのこと、一哲もまるで長年のコラボのように(初共演らしい)一体化している。
3人を結ぶ三角形が、相似形を保ったままその重心に向かって距離を詰めていくような感覚を覚えた。互いに反応しているというより、当初からの行程表通りに3人が最短距離を疾走しているようにすら感じられる。
演奏を聴きながら、坂口安吾の文章を思い出していた。

ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。(中略)ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上っているのである。(中略)ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、「このやむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。(日本文化私観)

もちろんこれは、良質のフリージャズの美点でもある。