あうとわ~ど・ばうんど

Ornette Coleman / Ornette on Tenor

本日も再発モノで。

Ornette Coleman(ts) Don Cherry(tp) Jimmy Garrison(b) Ed Blackwell(ds)


本作再発直後、吉田隆一さんがツイッター

『オーネット・オン・テナー』オーネット自身のライナーに「テナーは人を線路に飛び込ませることが出来る。特にD♭ブルース」と謎掛けがあるが、 コレ、アレだよね。広瀬正『ツィス』がC♯(ツィス)=D♭(デス)という謎掛けなのと同じネタだよな。デスのブルースってことで。(http://twitter.com/hi_doi/statuses/208775872507936768

と発言しているのを読んで、久しぶりに聴きたくなってCD棚を探ったら、てっきり持っていると思っていたのに何故か無く、翌日慌てて買いに行ったのである(苦笑)
そういえば、オーネットは駆け出しの頃、テナーを演奏していたらクラブ内で殺人事件が起こり、自分の音楽のせいだと思い悩んだことがあったみたいな記述をジョン・リトワイラーによる伝記「オーネット・コールマン―ジャズを変えた男」で読んだ気がする(記憶あいまい)ので、その経験が上記発言につながっているのかもしれない。


さて。本作は「Soapsuds Soapsuds」とともに、オーネットがテナーのみを演奏した異色作だが、妙に人気があり、オーネットは嫌いだがこの盤は好きという人や、これを最高傑作と持ち上げる人もいる。ふだんアルトでやっていることをほぼそのままテナーに移植しているだけにもかかわらず、テナーという楽器の特性ゆえか音に安定感があり、非常に聴きやすいのは事実だ。
なるほど、オーネットが最初からテナーでデビューしていれば、スキャンダラスなまでの話題にはならなかったかもしれないし、彼への理解も初期から(すんなりとは行かないかもしれないが)広がったかもしれない。だがその場合、はたして彼は「変革者」たりえたかどうか。
オーネットの最大の魅力はやはり、独特の音・フレーズ・リズムが不可分一体となって違和感・異能感・不安定感をかき立て、しかもどうしてもサウンドから浮いてしまうあのアルトにあるはず、と信ずる(彼の音は鳴っていないのでなく、そういう音なのだ。ちなみに、毀誉褒貶かまびすしいサックス奏者がテナーよりもアルトに多いのは、音に起因することが多いと思う)。
あ、勘違いしてほしくないが、私は本作を貶してるわけでない。傍流作品として楽しんでいる。